ポイント
- 香り記述子の組み合わせから意図した香りを自動創作する方法を世界で初めて提案
- 香り印象を予測する深層学習と少数の要素臭を用いた香り再現技術により望みの香りのレシピを作成
- 香り製品の開発期間の短縮とコストの大幅削減および簡便な香り創作方法の提供
概要
東京科学大学(Science Tokyo)※ 総合研究院 未来産業技術研究所の中本高道教授とManuel Aleixandre(アレクサンドレ・マヌエル)研究員らの研究チームは、言語表現から香りを自動創作する手法を世界で初めて提案しました。
香り製品の開発では調香師という専門家が新しい香りを作り出しますが、その難しさから現状ではかなりの時間とコストがかかっています。このたび私たちは、ケモインフォマティクス[用語1]の手法により、言語表現から香りを実際に創作することに成功しました。これまでにも言語表現から好みの香り製品を提案するシステムはありましたが、実際に香りを作り出す手法はありませんでした。
本研究では、香りを複数の記述子(特徴を表す言葉)の組み合わせで表現しました。これをもとにDNN(Deep Neural Network)[用語2]用いて、香りのマススペクトル[用語3]から、その香りの記述子を予測できるシステムを開発しました。このシステムで、望みの香り記述子の組み合わせになるようにマススペクトルの方を更新していきます。望みの香りに対応するマススペクトルが得られたら、それを要素臭[用語4]のマススペクトルに分解して要素臭の調合比を決め、香りを再現しました。さらに、既存の精油の香りに記述子を1つ加えた香りを作成し、加えた記述子に対応するように香りが変わったことを実際に人に嗅いでもらう官能検査で検証しました。
本提案は、化学関連の分野のデジタル化を大きく加速させるケモインフォマティクスの新しい手法です。今後は、この成果をもとに香り製品の開発期間やコストの削減、デジタル嗅覚コンテンツ開発への応用が期待されます。
本成果は、12月28日付(現地時間)の「Scientific Reports」誌に掲載されました。
- 2024年10月1日に東京医科歯科大学と東京工業大学が統合し、東京科学大学(Science Tokyo)となりました。
背景
香りの創作は非常に難しく、今でも専門家である調香師が行うものとされています。それでも望みの香りを作り出すまでには、試行錯誤が繰り返されるため、開発期間は長くなりコストもかなりかかっています。この問題を解決するために、言葉で香りを表現し、それに対応する香りを自動創作する技術(図1)が香りの製品開発では望まれています。
本研究チームは、まず深層学習(DNN)を用いて、マススペクトルから香りの印象を予測する方法を開発しました。これに逆問題[用語5]を解かせることにより香りの印象からマススペクトルを予測する方法を提案しました。さらに、少数の要素臭から香りを再現する手法も提案し、官能検査[用語6]により望みの香りが再現されていることを検証しました。これらの成果をもとに、少数の要素臭を調合することにより香り創作を行う手法を開発しました。
研究成果
本研究では、香りの印象を複数の香り記述子(Fruit, Sweet, Fresh等)の組み合わせで表現することにしました。また、94の市販の精油をそれぞれ39の香り記述子で表現したデータを作成してDNNに学習させることで、香りのマススペクトルからそれに対応する香り記述子を予測するシステムを構築しました。このシステムを用いて、図2に示すように、マススペクトルから香り記述子を予測し、設定した香りの印象に合っているかどうかを調べました。合っていなければ誤差を小さくする方向にマススペクトルを更新し、この操作を設定した香り印象に合うようになるまで繰り返し、最終的に得られたマススペクトルに対応する香りを、要素臭を調合して作り出しました。
以前の研究から、少数の要素臭を調合して精油の香りが再現できることは分かっています。マススペクトルでは複数の香りに対して線形重ね合わせが成り立つので、実現したいマススペクトルは要素臭のマススペクトルの線形結合で表すことができます。また、要素臭のマススペクトルの係数は調合比を表すので、それに従って調合臭を作成すれば近似的に設定した印象の香りを作成できます。
4種類の精油について20の要素臭でそれぞれに似た香りを作るとともに、これとは別に記述子を1つ加えた香りを作成し、どちらの香りが加えた記述子の印象を強く感じられるかを調べました(表1)。Floral、Sweetに関してはほぼ意図した結果が得られましたが、Woodyに関しては誤回答の方が多かった。誤回答に関しては、DNNの予測精度を向上させれば減らすことができるため、将来的には香り創作の信頼性を高められると考えています。
表1. 創作した香りの官能検査による評価
また、要素臭で複製した香りとそれに記述子を1つ加えた香りについて、そのどちらがよりオリジナルの香りに近いかを1対2比較法(Duo-trio test)で調べました(表2)。複製した香りの方が記述子を加えた香りよりオリジナルの香りに近いことが分かり、要素臭により香りは再現ができることを裏付ける結果が得られました。
表2. 要素臭による香り再現の評価
社会的インパクト
香り創作は経験が求められる上に、時間と労力がかかる作業です。香り製品を開発する際には、最終的に調香師による調整は必要ですが、香りの提案手法があれば開発期間の大幅な短縮が見込まれ、香り製品開発の競争力は強化されるはずです。香りの印象を入力することで、それに近い香り製品を提案するシステムはすでにあるものの、実際に香りを作り出すシステムは世界で初めてでありインパクトの大きい成果と言えます。
さらに、香りの自動創作技術により、専門の調香師でなくても意図した香りが作れるようになれば、クリエータやITエンジニアでもデジタル香りコンテンツ[用語7]を制作でき、デジタル嗅覚が世の中に普及し、香りの世界はもっと豊かになると期待されます。
今後の展開
本研究では香りの自動創作手法の提案およびその手法にもとづいて香りを作成し、官能検査による検証を行いました。香り創作の信頼性を向上させるにはDNNによる香りの印象予測精度の向上が必要で、そのためには良質な学習データの規模を拡張しなければなりません。また、嗅覚ディスプレイ[用語8]を用いた香り創作も行うことで、香り関連産業だけでなくHCI(Human Computer Interaction)関連分野にも展開させることができます。
用語説明
- [用語1]
- ケモインフォマティクス:化学分野に多次元データ解析等のインフォマティクス手法を取り入れデータ解析に活用するアプローチ
- [用語2]
- DNN(Deep Neural Network):深層学習で用いるニューラルネットワーク
- [用語3]
- マススペクトル:質量分析器により分子をイオン化し、生成したイオンを質量と電荷の比によって分類し、各質量電荷比の値をベクトルデータとしたもの
- [用語4]
- 要素臭:香り再現のもととなる香り。要素臭を調合して香りを再現する
- [用語5]
- 逆問題:入力から出力を求める問題を順問題というが、逆に出力から入力を推定する方法
- [用語6]
- 官能検査:人間がどのように感じるかを調べる検査。アンケート調査にもとづいて行う。
- [用語7]
- デジタル香りコンテンツ:香り付きの映画・アニメ、ゲーム、アート作品
- [用語8]
- 嗅覚ディスプレイ:香りを人に提示するデバイス
論文情報
- 掲載誌:
- Scientific Reports
- 論文タイトル:
- Automatic scent creation by cheminformatics method
- 著者:
- Manuel Aleixandre, Dani Prasetyawan, Takamichi Nakamoto
研究者プロフィール
中本 高道 Takamichi NAKAMOTO
東京科学大学 総合研究院 未来産業技術研究所 教授
研究分野:知覚情報処理、ヒューマンコンピュータインタフェース、センサシステム、センサデバイス
アレクサンドレ・マヌエル Manuel ALEIXANDRE
東京科学大学 総合研究院 未来産業技術研究所 研究員
研究分野:ガスセンサ、ガスセンサシステム、機械学習、香りのデジタル化
プラセティアワン・ダニ Dani Prasetyawan
東京科学大学 総合研究院 未来産業技術研究所 助教
研究分野:センサ情報処理、アレイ化ガスセンサシステム、機械学習、官能検査