ポイント
- 300 GHz帯2次元フェーズドアレイ送受信機を安価で量産性に優れたCMOS集積回路により実現
- 300 GHzの半波長間隔2次元4×4アンテナアレイと双方向フェーズドアレイ送受信回路を、オールCMOSの同一チップ上に集積することに世界で初めて成功
- 超低消費電力・低コストICの実証により、6Gでのテラヘルツ帯無線通信の実装を加速
概要
東京科学大学(Science Tokyo) 工学院 電気電子系の岡田健一教授らの研究チームは、テラヘルツ帯[用語1]で無線通信が可能な2次元フェーズドアレイ[用語2]トランシーバを、アンテナや双方向の送受信回路を含めすべてCMOS集積回路で実現することに成功しました。
300 GHz帯2次元フェーズドアレイは6G[用語3]での実用化が期待されていますが、このような超高周波では波長が短くなるため、求められる半波長間隔でのアンテナや回路の集積が困難でした。
そこで研究チームは、2次元の300 GHz帯アンテナアレイを半波長間隔でチップ内に形成するために、アンテナを小型化すると同時に、間隔内に収まるコンパクトな送受信回路を新たに設計しました。開発した300 GHz帯フェーズドアレイトランシーバICは16系統の双方向送受信回路を持ち、1チップで4×4の2次元フェーズドアレイ動作が可能で、オンチップアンテナにより超小型の無線機が実現できます。
このトランシーバICを作製して実際にOTA[用語4]測定したところ、2次元(縦・横)のビーム走査が可能であり、同時に数mの通信にも十分な高いEIRP(等価等方放射電力[用語5])を持つことが確認できました。さらに、1素子あたりの消費電力も低く抑えることができ 、素子あたりの消費電力とチップ面積の両方で世界最小を達成しました。
今回開発したトランシーバは、量産性に優れたCMOS集積回路での300 GHz帯の無線伝送を可能にするものであり、同周波数帯を用いた次世代高速6G無線機の実現・普及を大きく加速させることが期待されます。
本成果は、6月14日~18日に米国ホノルルで開催される「2026 IEEE/JSAP Symposium on VLSI Technology & Circuits」で発表されました。
背景
テラヘルツ帯の一部である300 GHz帯は、利用可能な広大な周波数帯域が残されていることから、この周波数帯を利用した100 Gbps以上の超高速6G無線通信サービスの実用化が期待されています。しかしながら、このような高い周波数では、空間伝搬損失を補うだけの十分高い送信電力・受信感度を得るために、大型アンテナや化合物半導体などの特殊な技術が必要となり、小型化・低コスト化が実用化に向けた課題となっていました。この課題を解決するために、複数のアンテナの出力を合成・制御することで、アンテナ利得を高めるとともにビームステアリング[用語6]を可能にする、2次元フェーズドアレイ技術の研究が進められてきました。特に、安価で量産が可能なシリコンCMOSプロセスチップを用いた2次元のフェーズドアレイトランシーバの実現が大きく期待されています。
一方でフェーズドアレイでは、グレーティングローブ[用語7]の発生を防ぎ、狙った方向にだけ正確に電波や超音波を向けるために、アレイアンテナの間隔を半波長以下にする必要があります。しかし300 GHz帯のような高い周波数では、波長は1 mm程度と大変小さくなるため、半波長の間隔にアンテナや駆動回路を集積することが非常に困難でした。
研究成果
こうした課題を踏まえて、今回の研究では、65 nmのシリコンCMOSプロセスチップを用いた、オンチップアンテナ搭載300 GHz帯 2次元フェーズドアレイトランシーバIC を開発しました。このトランシーバICでは、2次元の300 GHz帯アンテナアレイを半波長間隔でチップ内に形成するために、アンテナを小型化すると同時に、半波長間隔内に収まるコンパクトな送受信回路を新たに設計しました。
設計した300 GHz帯トランシーバIC(図2)は16系統の双方向送受信回路を持ち、1チップで4×4の2次元フェーズドアレイ動作が可能です。各アレイ素子は、移相器[用語8]、逓倍器[用語9]、注入同期式逓倍器[用語10]、サブハーモニックミキサ[用語11]、オンチップ・ダイポールアンテナ[用語12]で構成し、0.30 mm2のコンパクトなコア領域に収めました。各素子の消費電力は 26 mWと極めて低く抑えられています。
オンチップ・ダイポールアンテナは、隣接素子との干渉を避けるためにグラウンドシールドを施し、基板の裏面から放射する構成としました。基板損失を抑え、放射効率を高めるために、放射素子の直下にバックサイド溝加工(grooving)を施し、半独立の基板キャビティを形成しました(図3)。このキャビティ内に放射電波を閉じ込めることで、利得を平均 4 dB 向上させています。
今回の研究ではさらに、設計した300 GHz帯フェーズドアレイトランシーバICを、65 nmシリコンCMOSプロセスを用いて作製しました(図1)。 このICはオンチップアンテナを内蔵しているので、そのままで空間通信が可能です。作製したICをプリント基板に実装してOTA測定したところ、±32°の主ビーム走査と、256 GHzにおいて-17.1 dBmのピーク EIRPが確認できました。
今回開発した300 GHz帯 2次元フェーズドアレイトランシーバICでは、CMOSプロセスを用いた半波長間隔のオンチップアンテナを初めて実現しました。同時に、素子あたりの消費電力とチップ面積の両方で世界最小を達成しています (図4)。
社会的インパクト
本研究で開発された300 GHz帯 2次元フェーズドアレイトランシーバICは、アンテナを含めてすべてCMOS集積回路が用いられています。安価で量産性に優れたCMOSプロセスによって、実用的な2次元フェーズドアレイトランシーバを1チップで構成できたことで、同周波数帯を用いた6G高速無線機の実現に大きく貢献すると期待できます。
今後の展開
今後は、今回の研究で開発したトランシーバICを基に、実際の端末に搭載可能な低コスト・超小型のトランシーバモジュールを実現することで、300 GHz帯無線通信の実用化を加速します。同時に、より多くの送受信回路を集積化した、さらに大規模なフェーズドアレイトランシーバの開発を目指します。そうしたトランシーバは、従来よりも長距離での超高速無線通信を可能にすることから、300 GHz帯の基地局等への展開を通して、6G高速無線システムの普及に貢献することができます。
付記
本研究成果は、国立研究開発法人情報通信研究機構(NICT、エヌアイシーティー)の委託研究(JPJ012368C00801)により得られたものです。
用語説明
- [用語1]
- テラヘルツ帯:5Gなどで用いられるミリ波帯より高い、300 GHzから3,000 GHz(3 THz)の周波数帯。テラヘルツ帯を用いる通信規格としてはIEEE802.15.3dが知られている。IEEE802.15.3dでは252-325 GHzの周波数帯を用いるため、252-300 GHzの周波数帯も含めて広義にテラヘルツ帯と呼ばれることが多い。
- [用語2]
- フェーズドアレイ:複数のアンテナへ位相差をつけた信号を給電する技術。ビームステアリングの実現に利用される。
- [用語3]
- 6G:第6世代移動通信システム。第5世代移動通信システム(5G)の次の世代の移動通信システム。
- [用語4]
- OTA(Over the Air):実際の電波を空間中に放射し、アンテナを含めた無線システム全体の性能を評価する測定手法。ケーブル接続による測定とは異なり、実際の通信環境に近い条件で送受信特性を確認できる。
- [用語5]
- 等価等方放射電力(EIRP:Equivalent Isotropic Radiated Power):アンテナから放射される電波の強さを表す指標で、送信電力とアンテナの利得を合わせた実効的な放射能力を示す。値が大きいほど、遠くまで強い電波を届けることができる。
- [用語6]
- ビームステアリング:アンテナの指向性パターンを制御する技術。通常、フェーズドアレイを用いて電気的に制御する。
- [用語7]
- グレーティングローブ:複数のアンテナ素子を並べたアレイにおいて、本来の向き(メインローブ)とは異なる方向に発生してしまう意図しない強力なビームや感度のこと。
- [用語8]
- 移相器:入力された交流信号(電圧や電流)の波のタイミングである位相を意図的にずらして出力する回路のこと。通信技術やレーダーシステムにおいて、電波の方向をコントロールするための不可欠な技術である。
- [用語9]
- 逓倍器:入力された電気信号の周波数を整数倍(2倍、3倍…)にして出力する回路こと。
- [用語10]
- 注入同期式逓倍器:発振器に基準となる低い周波数の信号を注入し、その整数倍の周波数で安定した高周波信号を取り出す回路。高周波・ミリ波帯の無線通信において、低消費電力で精度の高いクロックを生成する目的で広く活用されている。
- [用語11]
- サブハーモニックミキサ:局部発振器(LO)に目標周波数の整数分の1の周波数を用いて信号の周波数変換を行う回路。高価な高周波の局部発振器を省略できるため、ミリ波やテラヘルツ波などの超高周波回路で広く利用される。
- [用語12]
- ダイポールアンテナ:給電点から左右対称に2本の直線状の導線(エレメント)を伸ばした、最も基本となる構造のアンテナ。本ICでは、面積低減のため直線部分のエレメントの一部を折り曲げた、メアンダ状のダイポールアンテナを用いた。
学会情報
- 講演セッション:
- C1 High‑Frequency Arrays for 6G and SATCOM
- 講演時間:
- 現地時間6月16日 午前10時40分
- 論文タイトル:
- A 240–270 GHz 4×4 Bi-Directional Phased-Array Transceiver with On-Chip Half-Wavelength-Spaced Array and Ultra-Low Power Consumption in 65-nm CMOS
- 著者:
- Chun Wang, Olivia Angel Yong, Chenxin Liu, Wenqian Wang, Anyi Tian, Abanob Shehata, Takumi Kojima, Hans Herdian, Yudai Yamazaki, Sunghwan Park, Minzhe Tang, Dongfan Xu, Sena Kato, Yuncheng Zhang, Kazuaki Kunihiro, Hiroyuki Sakai, and Kenichi Okada
研究者プロフィール
岡田 健一 Kenichi Okada
東京科学大学 工学院 電気電子系 教授
研究分野:無線機・高周波回路(RFアナログ回路、ミックスドトシグナル回路)