高断熱で暖かい家での暮らしによる医療費の低減と健康寿命の延伸効果を定量化

2024年10月31日 公開

建築環境工学に医療経済学を導入した新たな枠組みを提案

要点

  • 住宅新築時の高断熱化への初期投資は、費用対効果の面で優れることを解明
  • 断熱性能が高く暖かい住宅での暮らしによる高血圧・循環器疾患の予防効果を推計し、費用(断熱工事費・暖房費・医療費)と効果(健康寿命延伸)を算出
  • 高断熱住宅の普及による健康格差の是正や気候変動問題の抑制への波及効果も期待

概要

東京科学大学(Science Tokyo) 環境・社会理工学院 建築学系の海塩渉助教、鍵直樹教授、慶應義塾大学の伊香賀俊治名誉教授、自治医科大学の苅尾七臣教授、産業医科大学の藤野善久教授、東京歯科大学の鈴木昌教授、北九州市立大学の安藤真太朗准教授、奈良県立医科大学の佐伯圭吾教授、東京大学の村上周三名誉教授らは、建築環境工学の分野に医療経済学の手法を応用し、高断熱で暖かい家での暮らしによる医療費の低減効果と健康寿命の延伸効果を推計することによって、住宅を新築する際の断熱工事が費用対効果の高い対策であることを明らかにしました。

近年、住環境が健康に与える影響に注目が集まっており、2018年に世界保健機関(WHO)が住宅と健康ガイドラインを発行しました。その中で、循環器疾患(脳血管疾患や心疾患)は寒い住宅で発生しやすいことが示され、寒冷曝露に伴う血圧上昇が一因とされています。本研究グループは、これまでに国土交通省補助事業のスマートウェルネス住宅等推進事業で2,000軒超の住環境を調査し(1)対象住宅の9割超がWHOの推奨する最低室温18℃に届かない寒冷な環境であること、(2)室温低下に伴い血圧が上昇し、高齢者の方が室温の影響を受けやすいことを明らかにしてきました。寒さ対策として、住宅の高断熱化や暖房が挙げられますが、高額なイニシャルコストやランニングコストが障壁となっていました。

これまで断熱工事のメリットは暖房費低減の観点から説明されることが多かった中で、本研究はそのメリットを高血圧や循環器疾患の予防による医療費低減や健康寿命延伸に拡張し、高断熱で暖かい住宅での暮らしによる費用対効果を計算する医療経済モデルを構築しました。

本成果は、9月24日付の「BMJ Public Health」に掲載されました。

  • 2024年10月1日に東京医科歯科大学と東京工業大学が統合し、東京科学大学(Science Tokyo)となりました。

背景

世界保健機関(WHO)が2018年に発行した住宅と健康ガイドライン[参考文献1]では、「住環境改善は命を守り、疾病を予防し、QOL (quality of life)を高める」と報告されています。ガイドラインの主要トピックの1つが「低室温と住宅の断熱」であり、寒さによる健康被害防止のために、(1)室温を18℃以上に保つこと、(2)住宅の断熱化をすることが推奨されています。

日本においては、2019年時点で5,000万戸の既存住宅のうち無断熱の住宅が約3割にのぼると言われており、寒さによる健康被害が懸念されます。実際に本研究グループが全国の冬の室温を実測した結果、WHOが推奨する室温18℃以上を満たす家は1割に満たない結果となりました(図1)[参考文献2]。また劣悪であることが判明した住宅内の温熱環境と血圧の関連を分析した結果、室温低下に伴い血圧が上昇し、高齢者の血圧の方が室温の影響を受けやすいことが示されました[参考文献3]

従って、高血圧や循環器疾患を始めとする健康被害防止のために高断熱化や室温維持の対策を進める必要がありますが、高額なイニシャル・ランニングコストがハードルとなり、対策が十分に進んでいませんでした。

図1. 都道府県別の在宅中の平均居間室温(日本全国2,190軒の実測結果)[参考文献2]

研究成果

本研究では、建築環境工学に医療経済学を導入し、高断熱で暖かい住宅での暮らしによる高血圧・循環器疾患関連の医療費低減、健康寿命の延伸効果の推計手法を構築しました。その手法に基づき、日本で最も多い断熱等級[用語1]2の住宅で、室温15℃で暮らすシナリオ0を基準として、40歳で住宅を新築する際に断熱性能を向上する新築シナリオ(シナリオ1-1:断熱等級4 & 18℃、シナリオ1-2:断熱等級6 & 21℃)と、60歳で住宅の全体を断熱改修する改修シナリオ(シナリオ2-1:断熱等級4 & 18℃、シナリオ2-2:断熱等級6 & 21℃)を比較しました(図2)。

具体的に、10万ペアの夫婦に対してモンテカルロシミュレーション[用語2]を実施し、各シナリオの費用(断熱工事費・暖房費・医療費)と効果(質調整生存年QALY (quality-adjusted life-years)[用語3]を算出、費用対効果(増分費用効果比ICER (incremental cost-effectiveness ratio)[用語4]を比較しました。

図2. 基準シナリオと新築・改修シナリオ

分析の結果、基準シナリオ0と比べて、新築シナリオ1-2では断熱工事費として初期費用が200万円上乗せになる一方、高血圧・循環器疾患関連の医療費が109万円低減することが示されました。暖房費も加味すると夫婦合計の生涯費用は84万円増加するものの、健康寿命は0.48 QALY延伸し、ICERは177万円/QALYとなりました。ICERは500万円/QALY以下であれば費用対効果が高いと判定されるため[参考文献4]、新築時の断熱性能向上は費用対効果が高い対策であると示唆されました。個人属性のバラツキを考慮した不確実性分析[用語5]でも、86.8%の確率でシナリオ1-2の費用対効果はシナリオ0と比べて高くなりました(図3)。

改修シナリオ2-2では、基準シナリオ0と比べて、生涯費用が258万円増加しますが、健康寿命が0.86 QALY延伸、ICERは300万円/QALY(<500万円/QALY)となりました。不確実性分析の結果においては、43.3%の確率でシナリオ2-2の費用対効果が高くなる一方、56.7%の確率でシナリオ0の費用対効果の方が高くなりました。従って、改修シナリオについては、今回想定した住宅全体の改修ではなく、滞在時間が長い居間や寝室のみを断熱する部分断熱改修など、より低コストの対策を検討することが有効と言えます。

図3. 個人属性のバラツキを考慮した不確実性分析の結果

社会的インパクト

これまで断熱工事は暖冷房費低減の観点からメリットを説明されることがほとんどで、暖冷房費低減だけでは投資した費用の回収が難しいとされていました。本研究では断熱工事のメリットに医療費の低減や健康寿命の延伸といったコベネフィットCo-benefit[用語6]を組み込むことで、断熱化や暖かい家での暮らしの費用対効果を示すことを可能にしました。

本研究は、行政に対して将来の医療費低減を見据えて「住宅に補助金を投入すべきか」といった意思決定の上で活用されることが期待されます。社会全体に対するインパクトとして、高断熱住宅の普及(SDG 11)が国民の健康増進(SDG 3)につながり、ひいては健康格差是正(SDG 10)や気候変動問題の抑制(SDG 13)への波及効果が生まれると期待されます。

今後の展開

本研究では、第一段階として高血圧と循環器疾患に関連する医療費や健康寿命を算定しましたが、暖かい家での暮らしはこの他にも呼吸器疾患や夜間頻尿、睡眠の質の改善等に繋がることが先行研究から明らかになりつつあります。従って、本医療経済評価のモデルにさまざまな疾患を加えることで、住環境の健康影響がより顕著に表れると予想されます。また循環器疾患は要介護となる原因の2割以上を占めていることから介護費を含める、疾患に伴う生産性損失[用語7]を含めるといった追加分析も考えられます。以上のような、住環境による健康影響の多角的評価を本研究の今後の展望としています(図4)。

なお本研究は費用対効果評価のガイドライン[参考文献5]に従い、公的医療費支払者の立場で分析しており、保険者負担分、公費、患者負担分の総額で分析を行っています。従って、居住者一人ひとりに還元される結果でない点に注意が必要です。

図4. 高断熱で暖かい家での暮らしによるCo-benefitの多角的評価(今後の展望)

付記

本研究は、国土交通省「スマートウェルネス住宅等推進事業」のうち調査事業の一環として実施したものであり、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業基盤研究(S)「住環境が脳・循環器・呼吸器・運動器に及ぼす影響実測と疾病・介護予防便益評価(課題番号:JP17H06151,研究代表者:伊香賀俊治)」、科学技術振興機構(JST)創発的研究支援事業「寒冷負債の解明とモデル化による高血圧予見医学への挑戦(課題番号:JPMJFR2154,研究代表者:海塩 渉)」の支援により実施されました。

用語説明

[用語1]
断熱等級:等級1~7の7段階あり、数字が大きいほど住宅の断熱性能が高い。2022年4月に等級5が、同年10月に等級6・7が新設された。
[用語2]
モンテカルロシミュレーション:不確実な事象について、結果を推定するために使用される、数学的手法。
[用語3]
QALY:質調整生存年という指標であり、生存年にQOL値を乗じることにより求められる。QOL値が1は完全な健康を、0は死亡を表す。QOL値 が0.5の状態で2年間生存した場合、0.5×2=1.0 QALYとなる。これは、「完全に健康な状態で1.0年生存したのと同じ価値」と解釈される。
[用語4]
ICER:増分費用効果比という指標であり、断熱工事費等の「追加の費用」を、新たに得られる「追加の効果」で割ったもの。例えば、200万円の追加費用で0.5 QALYの延命が期待できれば、200万円/0.5 QALY=400万円/QALYとなる。これは、「完全な健康状態で、1年追加で生きるのにあと400万円かかる」と解釈される。日本のガイドラインでは500万円/QALY以下で費用対効果が高いと判断され、値が小さければ小さいほど費用対効果が高い指標である。
[用語5]
不確実性分析:医療経済評価ではさまざまな不確実性を考慮した分析が必要である。今回は個人属性や生活習慣のパラメータ(例:肥満か否か、喫煙をするか否か)の不確実性を考慮して、先行調査における肥満者や喫煙者の存在割合に基づき解析を実施した。
[用語6]
コベネフィットCo-benefit:一つの活動から副次的・派生的に得られる便益のこと。
[用語7]
生産性損失:病気等による欠勤や、疾患を抱えながら仕事をして業務遂行能力が低下した状態により生じる損失。

参考文献

[2]
Umishio W, Ikaga T, Fujino Y, et al. Disparities of indoor temperature in winter: A cross-sectional analysis of the Nationwide Smart Wellness Housing Survey in Japan. Indoor Air. 2020;30:1317-1328.
DOI: 10.1111/ina.12708
[3]
Umishio W, Ikaga T, Kario K, et al. Cross-Sectional Analysis of the Relationship Between Home Blood Pressure and Indoor Temperature in Winter: A Nationwide Smart Wellness Housing Survey in Japan. Hypertension. 2019;74:756-766.
DOI: 10.1161/HYPERTENSIONAHA.119.12914
[4]
厚生労働省
費用対効果評価における基準値の設定について(2024.10.8閲覧)
[5]
ガイドライン、関連通知など|国立保健医療科学院 保健医療経済評価研究センター
中央社会保険医療協議会における費用対効果評価の分析ガイドライン2024年度版(2024.10.8閲覧)

論文情報

掲載誌:
BMJ Public Health
論文タイトル:
Effect of living in well-insulated warm houses on hypertension and cardiovascular diseases based on a nationwide epidemiological survey in Japan: a modelling and cost-effectiveness analysis
著者:
Wataru Umishio1*, Toshiharu Ikaga2, Kazuomi Kario3, Yoshihisa Fujino4, Naoki Kagi1, Masaru Suzuki5, Shintaro Ando6, Keigo Saeki7, Shuzo Murakami2(*責任著者)
所属:
1 東京工業大学 環境・社会理工学院 建築学系
2 一般財団法人住宅・建築SDGs推進センター
3 自治医科大学 医学部 内科学講座 循環器内科学部門
4 産業医科大学 産業生態科学研究所
5 東京歯科大学 市川総合病院 救急科
6 北九州市立大学 国際環境工学部 建築デザイン学科
7 奈良県立医科大学 医学部 疫学・予防医学講座

研究者プロフィール

海塩 渉 Wataru UMISHIO

東京科学大学 環境・社会理工学院 建築学系 助教
研究分野:建築環境工学、公衆衛生学

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助教 海塩 渉

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