ポイント
- 自発分極を持つ強誘電体膜を強磁性体膜上に積層して磁気特性の変化を実現。
- 強誘電体の分極反転に応じた強磁性体の保磁力の変化を確認。
- MRAMの消費電力を低減させられる技術として期待。
概要
東京科学大学 工学院 呉研特任助教、同 工学院 電気電子系 鬼村和志大学院生、角嶋邦之准教授および住友化学株式会社の小林宏之研究員らの研究チームは、住友化学次世代環境デバイス協働研究拠点において、強誘電体[用語1]AlScN と強磁性体[用語2]CoFeB の積層構造を利用し、強誘電体の自発分極が強磁性体の磁気異方性エネルギーに影響を与えることを確認しました。
磁気異方性エネルギーは、磁化の反転や熱散乱への耐性に関わる重要な指標であり、本研究では強誘電体の分極を変化させることで、磁気異方性を不揮発的に制御できることを示しました。外部電圧による電圧制御磁気異方性(VCMA)効果[用語3]と同様の効果を、高い内部電場を持つ強誘電体を用いて得られるかを検証するために、デバイスを作製し、磁気光学カー効果(MOKE)[用語4]測定を行った結果、強誘電体の分極反転[用語5]に応じた強磁性体の保磁力[用語6]の変化を発見しました。
この成果は、磁気異方性の変化を外部電圧なしで保持できる、よりエネルギー消費の少ない磁気抵抗メモリ(MRAM)[用語7]実現に向けた重要な一歩となると期待されています。
研究成果は3月26日に日本の応用物理学会誌「Applied Physics Express」のオンライン版に掲載されました。
背景
近年、AI技術やデータストレージ技術の進化に伴い、高性能で低消費電力の不揮発性メモリへの需要が高まっています。住友化学次世代環境デバイス協働研究拠点では、こうした省電力メモリへの需要に応えるため、不揮発性を有しながらDRAM[用語8]やSRAM[用語9]にも負けない動作速度を有するMRAMに着目し、その技術的課題の解決に取り組んでいます(図1)。

磁気トンネル接合(MTJ)はトンネル絶縁層を強磁性体層で挟んだMRAMの主要な構成要素であり、その強磁性体層の磁気異方性エネルギーを効率的に制御することで、メモリデバイスの性能を向上させることが期待されています。
これまで磁気異方性エネルギーを制御する方法として、電圧により磁気異方性を制御するVCMA効果が研究されてきたが、外部電圧の持続的な供給が必要であり、エネルギー効率の面で課題がありました。そこで本研究では、強誘電体AlScN(表1)[参考文献2]と強磁性体CoFeBの積層構造における、強誘電体の自発分極による内部電場を用いた、外部電圧を必要としない不揮発的な磁気異方性エネルギーの変化の可能性を探求しました(図2)。


研究成果
本研究では、強誘電体AlScNと強磁性体CoFeBを積層したデバイス(図3)を作製し、強誘電体の分極方向を電圧で切り替えることで、強磁性体の磁気特性がどのように変化するかを調べました。磁気特性の測定は、磁気光学顕微鏡を用いた磁気光学Kerr効果(MOKE)測定で行い、分極方向の変化に伴う保磁力の変化を観察しました(図4)。この測定で、強誘電体AlScNの分極方向を変化させた際のCoFeBの磁気特性を調べたところ、正電圧を加えた後に保磁力が小さく(図4赤線)、負電圧を加えた後に保磁力が大きくなったことから(図4青線)、強誘電体の内部電界により隣接した強磁性体の磁気異方性が変化することがわかりました。また、この測定は、電圧を加えて強誘電体の分極を反転させた後に、電圧を印加していない状態で実施したため、強誘電体AlScNの不揮発的な分極方向の変化により、強磁性体CoFeBの磁気異方性を不揮発的に制御された事を示しています。これは、電圧の保持を必要としないVCMA効果の実現可能性を示唆しています。


社会的インパクト
本研究で確認された、強誘電体の分極方向の向きによる強磁性体の保磁力の変化は、強磁性体のスピンを反転させるのに必要なエネルギーを不揮発的に制御できることを示しています。これにより、MRAMにおける電流書き込み動作をアシストすることで省電力化に寄与すると考えられます。また、MTJのトンネル絶縁膜に電圧を加えることを想定した従来のVCMA効果と比較して、強誘電体膜を隣接させるだけの今回の研究で用いた構造では、トンネル絶縁膜にかかる負荷を減らすことができます。これはメモリの書き込み耐性の向上にも寄与することから、MRAMの実用化に向けて大きく前進したといえます。
今後の展開
本研究の成果は、磁気異方性の不揮発制御において新しい方法を示しており、次世代のスピントロニクスデバイスの設計に大きな影響を与えると考えられます。今回開発した技術は、従来のVCMA効果とは異なり不揮発に磁気異方性を制御できるため、新たなMRAMの設計だけでなく、レーストラックメモリやトンネル磁気抵抗(TMR)素子など、他のスピントロニクスデバイスへの応用も期待されます。また、本研究で得られた知見は、人工知能(AI)プロセッサやエッジコンピューティングデバイス向けの低消費電力・高速メモリ技術の開発にもつながります。
付記
本研究は、文部科学省次世代X-nics半導体創生拠点形成事業JP J011438と住友化学株式会社の助成を受けたものです。
参考文献
- [1]
- メモリー技術大改修: 日経エレクトロニクス2025/04号(28~29ページ掲載)
- [2]
- S-L. Tsai, K. Kakushima, et, al., Appl. Phys. Lett., 118, 082902 (2021)
用語説明
- [用語1]
- 強誘電体:自発分極を持ち、外部電場により分極方向を切り替え可能な材料。本研究では AlScN(アルミニウムスカンジウム窒化物)を使用した。
- [用語2]
- 強磁性体:外部磁場なしで磁化を持つ材料。本研究では CoFeB(コバルト鉄ホウ素合金) を使用した。
- [用語3]
- 電圧制御磁気異方性(VCMA: Voltage-Controlled Magnetic Anisotropy)効果:電圧を印加することで磁気異方性を変化させる現象。本研究では、外部電圧を加えた履歴で強誘電体を利用して同様の効果を得た。
- [用語4]
- 磁気光学カー効果(MOKE: Magneto-Optical Kerr Effect):磁性体の磁化状態を測定する光学的手法。本研究では、基板に垂直な方向に磁界を印加して保持力の評価に用いた。
- [用語5]
- 分極反転:分極反転とは、強誘電体が持つ自発的な電気的分極の向きが、外部からの電場の印加によって逆転させる現象。本研究では、強誘電体のAlScNの分極方向が基板に垂直な上方向と下方向に反転させた。
- [用語6]
- 保磁力(Coercivity, Hc):磁化を反転させるために必要な外部磁場の大きさ。本研究では、強誘電体の分極方向によって 30 (Oe) 〜 141 (Oe) の範囲で変化することが確認された。
- [用語7]
- 磁気抵抗メモリ(MRAM):磁化状態を情報として保存する不揮発性メモリ。本研究の技術により、低消費電力・高耐久なMRAMの開発が期待される。
- [用語8]
- DRAM(Dynamic Random Access Memory):キャパシタに電荷を貯めることで情報を保持する揮発性の記憶素子。
- [用語9]
- SRAM(Static Random Access Memory):フリップフロップで構成された揮発性の記憶素子。現代のコンピューターを構成する基本素子。DRAMと同様に本研究では、MRAMの高速性及び低消費電力性をもってこれらの一部代替を目論む。
論文情報
- 掲載誌:
- Applied Physics Express (APEX)
- タイトル:
- Magnetism control of thin CoFeB layers by ferroelectric polarization
- 著者:
- Wu, Yan; Onimura, Kazushi; Kobayashi, Hiroyuki; Okamoto, Satoshi; Kakushima, Kuniyuki
研究者プロフィール
呉 研 Yan Wu
東京科学大学 工学院 特任助教
研究分野:半導体デバイス
角嶋 邦之 Kuniyuki Kakushima
東京科学大学 工学院 電気電子系 准教授
研究分野:半導体デバイス